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王家の絣衣裳/三線と工工四

特別展
2025.04.04〜04.27

特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。

 

今月は王家の絣衣裳をご紹介します。

庶民的な印象の強い絣ですが、琉球王国時代、絣衣裳は格式の高いものとして士族の礼装に使用され、王家の人々もまた絣を身に着けていました。尚家に伝来した衣裳には、王家ならではの鮮やかな黄色地に、大型の経緯絣が縞や格子と組み合わせて巧みに配置され、琉球の絣織物の美しさが存分に表現されています。

 

王家の絣織物は「御絵図(みえず)」と呼ばれる織物の絵図を基に特別注文で製作されました。この絵図を基に、久米島や宮古、八重山に絣織物が発注されました。尚家伝来の「御絵図帳」には、発注に使用した絣や縞、格子の様々な織物の絵図が貼り付けられています。いずれも琉球王国時代の織物デザインを現代に伝える貴重な資料です。

 

 

調度品は「三線と工工四」と題して、当館所蔵の三線(さんしん)を紹介します。

 

琉球では、海外からの賓客をもてなす場で歌舞音曲を演じる役割を士族男子が担っていため、士族の教養として三線の習得が奨励されました。

 

近代以降、庶民の間にも広く根付き、現在では沖縄の人々の生活に切っても切り離せないものとなっています。

 

三線は琉球から日本へ伝わり三味線(しゃみせん)となりました。胴の部分には元々紙や皮が貼られていましたが、琉球ではニシキヘビの皮が貼られています。

 

 

文書も先月に引き続き「三線と工工四」にちなんだ資料をご紹介します。

 

野村親雲上安趙(のむらペーチンあんちょう)は琉球王国時代の歌・三線の名手といわれ、現在の三線流派の1つである野村流の楽祖です。

 

安趙は、音楽を知念績高(ちねんせきこう)に学び、安富祖正元(安富祖流の楽祖)とともに知念門下の二俊才とうたわれました。琉球国王の尚灝、尚育、尚泰の三代にわたって仕え、歌・三線が堪能なため国王からたびたび褒賞をうけています。

 

安趙は、尚泰の命をうけて、1867年に工工四の編纂に着手し、弟子である松村真信や喜舎場朝賢らの協力を得て1869年に工工四を完成させました。

 

現在、尚家文書にある三冊の工工四は安趙が尚泰王の命を受けて献上したものとされています。

 

 

 

王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。