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【特別展】三ツ巴紋の紅型衣裳/三線と工工四

特別展
2025.03.07〜04.02
終了しました

特別展示室では、毎月「国宝 琉球国王尚家関係資料」の美術工芸資料および文書資料をとおして、琉球国王尚家の歴史と王国時代の遺物をご紹介しています。

 

 

 

今回ご紹介する衣裳は、すべて尚家の家紋である左三ツ巴(ヒジャイグムン)紋が染められた紅型衣裳です。

 

日本本土では家紋はその家の氏(うじ)を表す重要なものですが、琉球ではその家の所有であることを示す道具紋(どうぐもん)としての意味合いが強く、風呂敷、文箱、衣裳箱などに使用されました。また、琉球では正式な衣裳に家紋を付けるという慣習はありませんでした。

 

今回展示している衣裳はすべて左三ツ巴紋が配されていますが、小さく全体に散りばめられていることから、道具紋と同じような捉え方をしているものと考えられます。

 

 

調度品は、3月4日の三線(さん(3)し(4)ん)の日にちなんで、当館所蔵の三線(さんしん)や工工四(くんくんしー)をご紹介します。

 

琉球では、海外からの賓客をもてなす場で歌舞音曲を演じる役割を士族男子が担っていため、士族の教養として三線の習得が奨励されました。

 

近代以降、庶民の間にも広く根付き、現在では沖縄の人々の生活に切っても切り離せないものとなっています。

 

三線は琉球から日本へ伝わり三味線(しゃみせん)となりました。胴の部分には元々紙や皮が貼られていましたが、琉球ではニシキヘビの皮が貼られています。

 

 

文書もさんしんの日にちなんだ資料をご紹介します。

 

野村親雲上安趙(のむらペーチンあんちょう)は琉球王国時代の歌・三線の名手といわれ、現在の三線流派の1つである野村流の楽祖です。

 

安趙は、音楽を知念績高(ちねんせきこう)に学び、安富祖正元(安富祖流の楽祖)とともに知念門下の二俊才とうたわれました。琉球国王の尚灝、尚育、尚泰の三代にわたって仕え、歌・三線が堪能なため国王からたびたび褒賞をうけています。

 

安趙は、尚泰の命をうけて、1867年に工工四の編纂に着手し、弟子である松村真信や喜舎場朝賢らの協力を得て1869年に工工四を完成させました。

 

現在、尚家文書にある三冊の工工四は安趙が尚泰王の命を受けて献上したものとされています。

 

 

 

王国時代の貴重な記録と、精緻な美術工芸品をぜひご覧ください。